対岸の言葉たち
マガルは仕事からの帰り道、何気なくいつもと違う道で帰ると見慣れないラーメン屋があることに気が付いた。
立て看板で大きく『1月7日オープン!』と書かれたその店には、満席にはいかないまでも多くの客の姿が見える。
コロナ渦ということを鑑みれば、まずまずの出だしなのではないだろうか。
店の屋根に掲げられた大きな文字が、煌々と雪を照らしている。
「ラーメン元祖…。」
マガルは思わずその文字を読み上げる。
新規オープンにもかかわらず元祖というネーミングに違和感を覚え、それが絶妙に味への興味につながっていく。
「清純派AV女優、みたいな…。」
ぽつりとこぼしながらマガルはハンドルを切り、開いている駐車場へと車を止める。
中に入ると方々から「いらっしゃいませ」と元気な声が飛んでくる。
カウンターに通され席に着いた後、改めて店内を見渡してみる。
客の数に対して店員が明らかに多く、まだ探り探り営業をしていることが見て取れた。
中にはいらっしゃいませと言うだけの店員までいる。
マガルはメニューを取ると同時に店員が一人、自分の後ろについたのが分かった。
途端に学生時代のテスト中のような緊張が走り、よそ見が許されない空間が生まれた。
メニューの一番初めには『元祖醤油ラーメン』という文字と大きなラーメンの写真が載っている。
なるほど、元祖というだけあって昔ながらのシンプルなラーメンを売りにしている店か。
マガルは一人で納得しながらうんうんとうなずく。
するとマガルの首が動く度に後ろの気配がじりじりと近寄ってきた。
店員の数が多すぎる故、手持ち無沙汰になった店員がマンツーマンで接客をしているようだ。
早く注文をしないと店員に申し訳ないと考え、マガルが急いで次のページをめくると、黄色い背景に黒い文字で『カレーラーメン』と書かれていた。
あれ、と思いさらにページをめくると『魚介とんこつラーメン』『辛ネギチャーシューメン』『あさりラーメン』など種類豊富なラーメンが掲載されている。
どうやら元祖は1ページだけで終わってしまったようだ。
マガルは「やはりAV女優に清純な人はいないのか」と、頭の中で強引に二つの事柄を結びつける。
ふぅ、と一息ついて顔を上げると、すかさず後ろから「ご注文はお決まりでしょうか」という声が飛んできた。
マガルにはそれが「これ以上私を待たせるんじゃねぇよ」と言っているように聞こえ、慌てて目についたメニューを指さす。
「あ、これ一つお願いします。」
「大辛みそラーメンですね。辛さはどうされますか?」
「あ、普通でお願いします。」
「1辛までは無料でできますが?」
「あ、1辛でお願いします。」
注文をしてから、今日の夜ご飯に自分の意志は何一つないということに気が付いた。
逆にどこまでが自分の意志で動けていたのだろうか。
注文を待つ間、今日一日の反省点を思い返す。
後ろについていた店員は再び店の入り口に立ち、いらっしゃいませと言える瞬間をじっと待っていた。