週に一度の爽やかな絶望
朝起きて男が最初に思ったことは「あと1日で開放される」だった。
男にとって金曜日は唯一希望を持って働ける日である。
寒さのせいで布団を抜け出すことができず、あと5分を3度繰り返したころ、ようやく意を決して起き上がることに成功した。
両手足が布団を出た順に冷えていく。
それでも強引に体を動かして身支度を整える。
明日もどうせ働くことにはなるのだが、会社に行かなくて良いということだけが男を奮い立たせていた。
しかしゴールを目前にすると何かしらハプニングが起こるのが人生である。
男の場合、それは朝一の会議で起こった。
資料の報告や問題点の共有など、予め決めていた内容は理想の自分に近い状態で説明することができた。
しかし良い状態はここまでであった。
名前も知らない誰かが言った。
「◯◯部署の動きはどうなってるんですか?」
男ははじめ、質問の意図を理解することができなかった。
他部者の動向は他部者に聞けば良いことである。なぜ私が把握する必要があるのだろうか。
喉元まででかかった言葉を強引に飲み込み、代わりに目の前の散らばった文字から言葉を掬い出す。
「分かりません」
他部署のことだろうと何であろうと、この会議の場で知らないことは罪なのだ。
それが例え「あなたの上司は朝食に何を食べましたか?」という質問でも同じ結果だっただろう。
さっきまで味方してくれていた人たちが次々と叱責の声をあげていく。
男は流暢な喋りを披露していた面影はなく、力なく訥々と弁解を述べた。
しかしその姿勢が火に油を注ぐこととなり、より一層熱が上がる事態となった。
男は、こうなるとこの場で挽回することは不可能だということを知っていた。
少しずつ叱責の輪が広がっていく様は、まるで白から黒にひっくり返されるオセロのようだった。
盤上はもうほとんど黒で埋め尽くされていたが、唯一、男とその上司だけが小さな光を保っていた。
もしかしたら上司が助けてくれるかもしれないという一縷の望みをかけて、男はうつむく上司に熱視線を送った。
しかしその数秒後、盤上には白が一つだけ残り、そのほかは全て黒で埋め尽くされていた。
白が男とその上司になったことを悟った上司は、あろうことか自らひっくり返り黒となったのだ。
こうなると最早ルールなどありはしない。
投了のないゲームは予定時間いっぱいまで続けられることとなった。
ようやく会議が終わると、先ほどまで攻撃をしていた黒い塊は散開し、自席に戻っていく。
いつの間にかそれぞれが白に戻っていた。
何か言いたいが、何を言いたいのか男には分からなかった。
目の前に散らばる文字を踏みつけながら席につく。
男にとって、言葉を壊すことがせめてもの抗いだった。